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NOISE(上)

冬休みの課題図書として読み終わったので感想を残しておく。
下はまだ(その前に別の本を読んでいる)。

人間が決定する判断のノイズに関する本。
その道のプロフェッショナルであっても個人、全体両方の面でノイズが非常に大きいことが明らかにされ、ノイズの詳細の分析や抑制するための方法論に話が移っていく。

アメリカにおける裁判の量刑や保険会社の契約といった事例紹介で記載されているノイズには、驚きはするものの、一方で納得感もあった。
(システムとしての)人間を信頼しないのはITエンジニアという職種のひとつの側面である。
人間に依拠したシステムにノイズが多く、一貫性に欠け、人ごとまたは個人の単位であったとしても成果にブレがでるのは改めて指摘されればそのとおりだ。
しかし、改めて指摘されれば、ということの裏を返せば、暗黙的に人間を信頼して仕組みが作られるのが既定である。
あらゆる面で意識的に人間の判断を制御するためには、相当の訓練が必要だ。

しかも、人間のノイズに気づいて削減すべく仕組み化できたとしても、機械的な判断は100%を保証できないがために人間が機械を信頼できずに取りやめられてしまうという悲しい事実も本書では指摘されている。
人間のエラーと機械のエラー、納得して受け入れられるのは前者ということらしい。
これは一般論であってケースバイケースではあると思う。
とはいえ、重大な判断において人間と機械どちらを信じられるか、判断が誤りだったときに納得できるか、というと人間ということになってしまう。
これは信頼性というよりも、機械や仕組みには責任を取れないが人間は取れる(取ったとみなすことができる)ということなのかもしれない。
ITやAIを取り入れた先進的企業でも、法治国家でも、最終的に判断を下すのは人間というのは人間対人間の世界では究極的に必要なのだろう。

ただ、日常的に求められるのはもっとカジュアルな判断ばかりだ。
その際には、前述のような機械化・仕組み化と同時に、「因果論的思考」(個別のケースの特徴から推論する帰納的な判断)ではなく「統計論的思考」(全体における今回のケースの特徴から下す演繹的な判断)を意識する。
これはコロンブスのたまごのように、知ってさえいれば可能な視点の変換だ。
どうしても因果論的思考を最初に発想してしまうのは著者自身も告白するところで、一朝一夕では難しい。
だからこそ統計論的思考を身につけることができれば強力な武器になりそうだ。

下も読みたいところだが、前作のファストアンドスローの話が唐突に出てくる。
もしこれから読む人がいれば、そちらから先に読んでもいいかもしれない(とはいえ、読んでなくても話は理解できる)。