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人間性

人の言語能力であったり情緒であったりは、人間の身体性とも不可分なのかなと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
ChatGPTは具体性の伴わない情報というレイヤーの入力でも、かなり人間性をエミュレートできている。
とはいえ、多分にバイアスがかかっているかもしれないが、やっぱりプロンプトを触っていて感じるのはこれはまだエミュレートに過ぎないというところ。
性質上短期記憶すらも持たないので人間性の拠り所もなく、ただヒューマンフレンドリーなインターフェースの壁打ちというのが現状だ。
記憶の永続化というとそれこそ情報技術の歴史ある分野なので、しばらくすると解決するだろうが、その時に本当にエミュレーター以上の実感を伴う何かとして感じられるかどうか?
最近は、身体性とまではいかなくても、睡眠や夢に相当する情報の圧縮と取捨が効いているのかもしれないと思い始めた。

情緒とは別軸で、論理的思考能力もどのようにして獲得されるかが気になっている。
今のところは、人間が不自然に思わないレベルの情緒の獲得のほうが先に辿り着きそう。
論理的思考能力が現在の確率的作文の延長線上にあるものなのか、それとも全く別のパラダイムの上にあるものなのか。
ファストアンドスローでいうシステム1(直感)を今かなりの精度で成し遂げていて、システム2が別の動きだというところに立つと、やはり別のパラダイムの上にある気がする。
……もはや、そうあってほしいという願望かもしれないけれども。